障がいという言葉が示すもの


By

こんばんは。

福岡は梅雨明けがされず、例年の1週間遅れになるんですかね。
自宅兼施術所の庭に植えたゴーヤーもスイカも元気に実を付け、収穫時を今か今かと待ちわびています。

前回に引き続き、小児の免疫について書こうかと思ったのですが、今日はどうしても書きたい事があり、
免疫の話は明日以降に。

皆さんが一度は目にして口にしたことのある言葉、
「障がい」について。

何に対して障がいがあるのか。

勝手な基準を設けて、自分は正常に生きていると思い込んでいる大人が勝手に定めた基準。
その勝手な基準の中に入るか否か。

社会性?協調性??
んなもん、つまらん。

勝手な大人が言っている障がいを持った人たちは、一生懸命に生きていて嘘はつかない。
故意に誰かを陥れたり、自分が力で上に立てると計算してイジメたりも絶対にしない。
持っている素晴らしい才能をひけらかしたりも絶対にしない。

常に自分の価値観を大切にして、それに実直に生きている。

こどもの場合、どんな子も持っている幼さのせいで、表現が少し大胆なだけ。
皆が持っている幼さ、幼い分だけ自分勝手。
そんなの、人間全員が経験する過程。いちいち問題にしないこと。

私はどうだろう。
表向きは、大人?の皮をかぶってすまし顔。
自分がやっている事に迷いがあるから、いつも確認しないと不安でやってられない。
心から今を生きていないから、将来が不安。
失敗した人を、心のどこかで卑下している。
たまたま上手くいった治療を自慢する。自慢していないように見せかけて、自慢する。

私は、心から彼らを尊敬しています。
文句があるなら真似してみろ。

私は、彼らが将来クソ社会から虐げられることが絶対に無い様に、
鍼灸師として、人間として出来る事を精一杯やって行きます。

もう、色メガネは捨てたいです。

毎日、患者さんやそのご家族に教えて頂くことばかり。
感謝の気持ちを、そのまま臨床現場で返していきたい。

IMGP7251