「是故聖人不治已病治未病、不治已乱治未乱、此之謂也。夫病已成而後薬之、乱已成而後治之、譬猶渇而穿井、闘而鑄錐、不亦晩乎。」
『聖人といわれる人は、完全に発病してしまった患者を治療するのではなくて、当然発病するであろうことを予測して、先手を打って治療を施すものである。また、この意味を拡大して、天下を治める場合に適応すれば、世の中が乱れてしまって、どうしても平定しなくてはならなくなってから手をつけるのではなくて、乱世となるであろうことを前もって察知して、未然に防ぐ政治を行なうものである。大体、病になりきってしまった後で、どんな良薬を与えても、あるいは乱世になってしまった後で、どんなに善政を布いても、それはちょうど、のどが渇いてたまらなくなってから、慌てて井戸を掘ったり、戦闘が始まってしまってから、あたふたと兵器を作ったりするようなものであって、これが手遅れでないとどうしていえるだろうか。』
↑ これは、黄帝内経という古い書物に記載されている一文です。
黄帝内経は、現存する中国最古の医学書と言われていて紀元前(前漢)に編纂されたもの。その後、時代の流れる中で失われたり再編集されたりして、現在東洋医学を学ぶ我々の聖典となった 『素問』と『霊枢』という形になりました。
上の文は、『黄帝内経素問』の<四気調神大論篇第二>に記載されている内容です。
訳文を読んでみてください(長くてすみません)。記載されている事は、とてもシンプルですよね。
現代に生きる私たち。このシンプルな考えで実際に養生できている人いますか?
驚くべきは、2000年以上前の書物に、21世紀を迎えた現代の我々の生活の教訓になるべき事が沢山ちりばめられているという事実です。
以前、養○酒さんがテレビCMで「女性は七年、男性は八年ごとに云々」という内容を流しましたね。この内容もまさに、『黄帝内経素問』の<上古天真論篇第一>に記載されているのです。
養○酒さんのおかげで、未病という言葉が世の中に広まりました。東洋医学のエッセンスが社会に浸透するのは嬉しい限りです。
しかし、正式にはこの未病の捉え方には少し相違があるようです。
未病というのは、病になる手前。そんな解釈で用いられています。
私も、患者さんにはそんな内容で説明しております。
実は、未病という言葉が示す意味はもう少し具体的な状態なのです。その事が、最初の文章に記載されている解釈になります。
東洋医学では、病は伝搬すると考えられています。一つの病が次の病を呼ぶという考えです。
例えば、
肝が病むと相剋という関係の下、いずれ脾も病むのだという考え方です。(脾とはおおよそ消化器のこと)
現代では、合併症とか随伴症状といったところでしょうか。
これが結構、あるあるなのです。
肝の不調が現れる症状は、イライラ・目の充血・上腹部が張って苦しい・足がつる等。
イライラして精神的緊張が持続すると、消化器症状を示す人がいます。
取引先との関係、上司のプレッシャー、営業成績に追われストレスまみれのサラリーマン。
育児と家事で忙しく、いつもイライラしていて精神的にリラックスできる時間が無いお母さん。
胃の調子が悪い。ムカムカする。 逆流性胃炎?胃潰瘍?
「ねえねえ、奥さん聞いた?お隣のご主人!最近、イライラして周囲に当たり散らしてたと思ったら、酷い胃潰瘍で寝込んでるんですって!!」
ということにならない様に、今発症している病が伝搬する前に、伝搬するであろう先の機能を補う事で、病の進行を食い止めましょうよ。
これが、未病という言葉が表す所なのです。
病の伝搬先を推察するには、東洋医学の理論と東洋医学的診察法が必要です。
それらをもって、患者の体表に現れたサインをしっかり観察し、その時その患者に最も適した治療法を組み立てます。
そして、未病を治すのです。
これは、大人の治療でも小児の治療でも同じです。
では皆さん、素敵な連休になります様に。