ボクが「小児はり」をやる理由


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一人っ子の僕が、気が付くと3人のこどもの父親になっていました。

otoko

 

僕は小さい頃、東京都荒川区という所で暮らしていました。

小学校三年生まで、小学校が終わると学童保育へ、その後一人で自宅マンションに。

首から白いゴムでぶら下げた鍵で、「ガチャ」と開けて真っ暗な部屋に入ると直ぐに鍵をかけました。

今となっては死語でしょうか。いわゆる『鍵っ子』でした。

冬は帰り道が暗くて、怖かったのを覚えています。時には野良犬に追っかけられた事も・・・。

やっと家に入っても真っ暗で冷たい空気。ランドセルを下して、学童でやり残した宿題の続きをしたり、テレビを観たり。

丁度ファミコンが世に出た時代でしたので、帰宅後はゲームをしたかったのですが「夜はやってはいけない!」と母に言われていたので、我慢したりこっそりやったりしていました。

高校を卒業した両親が、鹿児島県から集団就職の様な形で上京し結婚。

僕も親になった今は、あの頃の両親は共働きで懸命に頑張っていたんだとシミジミ思います。

でも、当時の僕は寂しかったし心細かったなぁ・・・。

ライオンズマンションの1階。エレベーターの横の部屋。冷たいドアノブをはっきりと覚えています。

当時、後に大親友となる「ながちゃん」が近くに住んでおり、ながちゃんも一人っ子。ながちゃんと毎日の様に遊び、ながちゃんの家族に海やら公園やらにしょっちゅう連れて行ってもらいました。

お陰で、兄弟はいなかったけれど、兄弟がいない寂しさは殆ど感じませんでした。

オヤジになった今でも、沢山の友達に恵まれていると思っています。

だから、共働きで一生懸命働きながら僕を育ててくれた両親と同じ位、ながちゃんにもながちゃんのご両親にも心から感謝しています。

だけど、ひとりぼっちの心細さはありました。学校であったこと、嬉しい事・悲しい事・悔しい事、話したくて母が帰宅するのが待ち遠しかった。

でも、母が帰宅するのは20時位でしたので、直ぐに夕食・直ぐに風呂・直ぐに就寝で、ゆっくり話をする時間が無かったです。

母も歯がゆかったのかも知れませんが、僕も寂しかった。そんな中で育ったので、小学生なりに両親に甘えない様に我慢していたと思います。一人で入浴、一人で就寝。

あれから約30年。日本は相変わらず、共働きで頑張るお父さんとお母さんで核家族が沢山。

テレビでは小さなこどもが被害者になってしまう、目や耳を塞ぎたくなる様なニュースがしょっちゅう。

これはもう親子の間で、豊かなふれあいがもっと必要なのは言うまでもありません。

ところで小さなこどもは、心の中や体の中の状態が体表に良く出ています。

大人と違ってまだ社会の修飾を受けていないので、とっても素直に体に現れるんだと思っています。

こどもは素直。時々、素直じゃないふりをしている子もいるけれど、こどもの皮膚に触れるとちゃんと心に触れることが出来ます。

小児はりをしていると、その子の親でも無いのに心のふれあいが持てて、その子の成長を垣間見ることが出来る。

だから、出来るだけ温かい手で・温かい言葉で・温かい気持ちで、こども達に小児はりをして、彼らが安心して成長して行ける様にサポートしたい。

鍼灸師としてだけではなく、一人の父親としてこどもの皮膚と心に触れていきたいです。